2024年11月01日
高野山の神聖な樹木を守る
日本の紀伊半島の霧に包まれた山々の中に、高野山(高野山)は静寂、歴史、精神的価値の聖域としてそびえている。この見事な山は何世紀も崇敬されており、高野山の六木(ろくぼく)として知られる独特な樹木のコレクションに恵まれている。
世界遺産に指定されている高野山は、日本仏教にとって深い精神的価値のある場所である。ここは9世紀初頭に崇敬を集めた僧侶、空海(弘法大師と呼ばれる)によって創設された。空海は日本に密教の真言宗を紹介し、高野山という穏やかな標高1,000メートルの高原を自分の精神的な隠居所と真言宗の創設の地として選定した。
西暦816年、空海は高野山とその総本山、金剛峰寺を真言宗修行の専用場として設立した。彼はこの山を嵯峨天皇から与えられ、害や不必要な力を防ぐ仏教の原理に従って建設した。歴史的記述によると、約3,000ヘクタールのこの地域は、森に囲まれた手つかずの湿地帯であった。何世紀も経つにつれ、ここは仏教修行の中心となり、数えきれないほどの巡礼者や求道者を引きつけてきた。
しかし994年、山は大火災に見舞われ、七堂伽藍(仏教寺院構内を構成する7つの堂)の大部分が焼失した。かつて豊かな緑に覆われた山は荒地と化し、再建が始まり、そこで初めて大規模な造林事業が行われ、山全体にヒノキが植えられた。しかし残念ながら、高野山はその後も大火災に何度も見舞われ、寺院を再建するたびに多量の木材が必要となった。
一括伐採ではなく、地元の人々はより持続可能な選択伐採を用いることを決めた。この方法では、数年から10年ごとに森の一部から成熟した木材を伐採し、その地域が再生するのを待ち、新たな樹木を植え続けた。成熟した樹木は山全体から順番に選ばれ、そのかわりに、建設に適しており回復力のある6種類の樹木、すなわち前述のヒノキ、スギ、コヤマキ(ヤマキ)、アカマツ、モミ、ツガが植えられた。ここに植えられたこれらの樹木は寺院の建設以外の用途に使用されることは禁じられている。
しかし19世紀後半、伐採技術と輸送技術が発展し、高野山が大部分の森を新政府に失ったため、森は選択伐採から一括伐採へと移行した。寺院は存続し、様々な交渉を行い、1918年から1945年の間に2,578ヘクタールの国有林が寺院の管理下に置かれ、管理林として金剛峰寺が林業部門を創設し、森林の成長を守った。大部分の土地が一括伐採されたため、新たな樹木を植え直す必要があった。
今日では、保全活動は細心の注意が払われ、定期的な維持管理、剪定、および老木の枝に構造的サポートを与えることが行われている。これは樹木の継続的な生存と健康を確保しながら、山の歴史的、精神的価値を守っている。地元の人々も山を最大限に活用している。地形が険しいため、斜面に段々畑を切り開き、仏教儀式で使用される花や植物を空きスペースに植えている。
保護された六木は過去と現在とのつながりとして、訪問者を高野山の豊かな歴史と長きにわたる文化的、精神的伝統に結びつけている。
Posted by shinjukujournal
at 11:05
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